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へびをくう話

明治40(1907)年、東京朝日新聞に連載されていたシリーズ「諸國惡もの食ひ」。(以後「諸国悪もの食い」と表記しますね)

日本各地の「悪食」をレポートする愉快な記事だ。

 

第1回では東京の「縞蛇の附焼き(つけやき)」が紹介されている。

この縞蛇のつけやきは「うなぎなんざ裸足」という美味っぷりで、実入りのよさから赤蛙売りは本業そっちのけで蛇さがしにかけずりまわっていたという。

赤蛙売りって誰だ、というと、江戸時代いらいの行商人で、東京ではカエルを醤油のつけやきにして売り歩いていたそうだ。赤蛙売りのカエルは、子どもの疳を治すために食されることが多かったらしい。

この記事では縞蛇を食すのも「肺病の薬」になるという伝説からきたものに相違ない、と推測されると同時に「嗜好によって食う」者も少なくなかったと述べられている。

東京朝日新聞, 1907-09-19, 「諸国惡もの食ひ(一)縞蛇の附燒き(東京)」

 

へびをくう、というと、すぐ思いだされるのは迷亭君の蛇飯だろうか。

鍋に蛇と米をほうりこんで火にかけると、蓋にあけてあった穴からひょいひょいと蛇の頭がとびでて、しまいには一面蛇のつらだらけになるという壮観。その頭を引っこ抜けば、骨と身がきれいに離れる。蓋をあけてほかほかご飯と蛇の身をかき混ぜれば、立派な蛇飯の完成だ。

夏目漱石吾輩は猫である」, 初出1905(明治38)年

 

わたしが愛してやまない作家泉鏡花も、へびをくう物語を書いている。「蛇くひ」というのがそれで、應(おう)とよばれる貧民たちが蛇を食うのだ。

食い方には2通りあって、まず食糧を分けてくれない店のまえで袂から蛇をとりだし「飢えて食らうものの何なるかを見よ」と叫び、噛みちぎって音を立て咀嚼し、あちこち吐き捨てて攻撃する。

蛇はごちそうにもなる。作中では長蟲の茹初(ながむしのゆでたて)とか蛇(くちなわ)の料理とかいわれるやつだ。田んぼの真ん中に鍋をおき、蛇を数十匹つかまえて水と投げこむ。蓋がわりのザルをかぶせて火を点けると、しばらくしてザルの目から蛇の頭がとびだすので、それをぐっと引けば骨と身が分かれ、あとは鍋の中で煮える蛇をむしゃむしゃ喰らうのだとか。

泉鏡花「蛇くひ」, 初出1898(明治31)年

 

おや、似ている。初出は鏡花のほうが先だし、冬に蛇はいないんじゃないのかと指摘された迷亭先生は「しかしこんな詩的な話しになるとそう理窟にばかり拘泥してはいられないからね。鏡花の小説にゃ雪の中から蟹が出てくるじゃないか」と鏡花を引き合いに出しているので、そういう影響関係だとみなして問題ないだろう。ないよね。

 

同じような調理法をとる両作品だが、蛇の描写から匂い立つ雰囲気がまるで違うのがおもしろい。

迷亭先生の蛇は「一分立つか立たないうちに蓋の穴から鎌首がひょいと一つ出ましたのには驚ろきましたよ。やあ出たなと思うと、隣の穴からもまたひょいと顔を出した」ととかくテンポがよく、ひょうきんな印象だ。そもそも失恋話の一環で登場するものだし、細君からは「まるで噺家の話を聞くようでござんすね」と総評されている。

一方で鏡花といえば、蛇使いといっても差し支えないほど蛇モチーフの多い作家だ。ときに艶かしくときにグロテスクな鏡花の蛇は、今作では鍋にぶちこまれ地獄の様相を呈する。

「苦悶に堪へず蜒轉廻(のたうちまわ)り、遁(のが)れ出でんと吐き出(いだ)す纖舌(せんぜつ)炎より紅く、笊(ざる)の目より突出(つきいだ)す頭(かしら)を握り持ちてぐツと引けば、脊骨は頭(かしら)に附きたるまゝ、外へ拔出づるを棄てて、屍傍(かたえ)に堆(うづたか)く、湯の中に煮えたる肉をむしや――むしや喰らへる樣は、身の毛も戰悚(よだ)つばかりなりと」 

そんな地獄の調理をする應(おう)たちは、前半でこそ不可解でおぞましい振る舞いが描かれているものの、読み進めるとどこか妖的で神的なイメージをまといはじめる。さすが。鏡花さすが。そういうとこ大好き。

 

諸国悪もの食い」をせっかく収集してきたので、しばらくこの話題をつづけたい。