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髪と海と労災死の「宮子姫髪長譚」(道成寺縁起)

前回の記事道成寺縁起には3つの物語があるとわかった。

まずは最初の物語である「宮子姫髪長譚」を読んでみたい。底本はもちろん『道成寺絵とき本』だ。引用ではなく、ざっくりとまとめなおしてある。

 

道成寺開創縁起 宮子姫髪長譚

九海士の里でうまれた少女

応神天皇の御世、9人の兵士に日高の浦が下賜された。9人は漁を生業としたため「九海士(くあま)の里」とよばれるようになった。

そんな九海士の里で、あるとき不妊になやむ夫婦が八幡宮へ祈りを捧げた。めでたく懐妊し、うまれた玉のような女の子。八幡宮にあやかって「宮」と名づけたが、夫婦はその子の髪がまったく生えないことに気づいた。宮はすくすく成長したが、彼女の髪はいつまでたっても生えてこぬまま。

海の怪異

ある年九海士の里は不漁つづきに苛まれた。ときを同じくして、海では怪異がみられるようになった。海中から時折、光がさしてくるのだ。

みなが恐れて海へ近づかなかったが、海女であった宮の母は「この怪異をとりのぞけば、前世の罪が亡ぼされ娘の髪も生えよう」と考え海にとびこんだ。

命がけで光にむかった母、気がつけばその身は海面で揺られていた。浜で見守っていた人々は、母の髪になにかがついているのに気づく。それは黄金にかがやく小さな仏像だった。

はえ

 怪異はなくなり、母はつつましく仏像へのお参りをつづけた。するとある夜、夢に観世音があらわれ「願いを叶える」という。母が涙ながらに娘のことをうったえると、たちまち宮の髪が生えてきた。美しい黒髪だった。

髪長姫のおなり

宮の髪はぐんぐん伸び、年頃になると7尺をこえるほどになった。豊かで美麗な黒髪から、彼女は「髪長姫」とよばれた。母も宮も観世音への恩を忘れず、抜けた髪さえ丁重にあつかい木の枝にかけていた。ある日どこからかやってきた1羽の雀が、枝にかかった宮の髪をひょいとくわえて飛び去った。

お約束

奈良の都の宮廷では、雀がのんびり巣をかまえていた。その巣から、長い髪がゆらゆら揺れているではないか。衛士が片づけてしまおうとした折、右大臣藤原不比等が通りかかって髪を目にした。彼の心は、長く美しい髪の虜になった。この髪の主にお宮仕えをさせたい、そう決心した藤原不比等は部下に諸国をたずねさせることにした。九海士の里を通りかかった部下、みごとに宮を発見した。

髪長姫、都へ行く

髪だけでなく心まで美しい宮をみて、部下はよろこび勅命を伝えた。両親はさみしいながらも宮を送り出した。都にてお宮仕えの身となった宮、衣装をまとう姿はさながら天女。藤原不比等の養女となって「宮子姫之命」の名を賜り、やがて後の聖武天皇を生んだ。

幸せな生活を送っていた宮子姫だったが、雨の日になると故郷の老親や観音像のことが思いだされて心が痛む。話を聞きつけた天皇は「なんと殊勝な法縁、すぐお寺を造立して国鎮めの霊場となさい」と命じた。

人柱となった現場責任者

紀伊国司である紀道成(きのみちなり)が造営の奉行に任命された。仕事に邁進していた道成だったが、木材選びの帰途、筏が川に沈み亡くなってしまう。その死を悼みつつ工事は進められ、ぶじ七堂伽藍が完成した。千手観音の巨像をつくり、宮子姫の守護仏1寸8分の霊像を胎内におさめ、秘仏として安置した。

道成寺の完成

天皇の音問を辱うした」ために天音山(てんのんざん)と号し、千手観世音の霊場であるため千手院と称し、亡くなった道成の功を讃えるため道成寺と名づけられた、寺の完成である。

 

じつに道成寺の起こりは、ひとりの女性の髪にあったのだ。宮の生まれから寺院建立まで、髪をめぐる奇談が連鎖してゆく縁起物語だった。

ただし安珍清姫伝説とおなじく宮子姫伝説にもヴァリアントがあるらしいので、おいおい調べていきたい。

それにしても、現代を生きるわたしたちとしては、道成寺の名から労災死した道成卿へ思いを馳せずにいられないね。