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海女と髪をめぐる伝説「道成寺宮子姫伝記」(道成寺縁起)

髪1本にほれこんだ天皇が持ち主に会いたがったため、田舎から後宮に連れてこられた宮子姫(髪長姫)。つるっぱげで生まれた彼女の髪を生やしてくれたのが、海底から拾われた黄金の観音像だった。その観音像をまつるため、建設されたのが道成寺である。

道成寺絵とき本』に載る、道成寺縁起最初の物語「宮子姫髪長譚」の大ざっぱすぎるあらすじだ。

道成寺と宮子姫をめぐる物語にヴァリアントがあることは、以前の記事で整理したとおりだ。

そのうち「宮子姫髪長譚」の下敷きになったといわれる「道成寺宮子姫伝記」をご紹介したい。道成寺蔵の絵巻物であり、梅山(2009)にて翻刻されている。

絵巻「道成寺宮子姫伝記」を口承でつたえたものが「宮子姫髪長譚」だというから、二者のちがいをみることは、口承文芸の面白さにふれることでもあるだろう。

 

道成寺宮子姫伝記

山のふもとの貧しい海士きょうだい

ときは文武天皇の御世。紀伊国日高郡にある八幡山のふもとに、9人の海士きょうだいがあった。貧しいなか、貝や鮑、さざえを拾い生計を立てていた。きょうだいのうち1人は女性、宮という海女である。

海の怪異

あるとき、海底から霓(虹)のような光がさした。みなは恐れて近づかなかったが、正体を探ろうと決心した宮、こっそり海へ潜っていった。海藻をかきわけ岩のあいだを探るうち、黄金の千手観音像をみつけた。なんと畏れ多いことと、髪にくるんで持ち帰り、岩のうえに作った草の庵に安置して兄弟とともにお世話した。

髪でできた雀の巣

都でのこと。藤原不比等は参内のおり、仕丁らしい男性たちが雀の巣を取り去ろうとしているところに出くわした。よくみると、その巣は1丈あまりの黒髪をあつめてできていた。文武天皇に報告したところ、そんな長い髪の女性がいるのだなあと興味をもち、その主を探させることになった。

賎ながら優美な海女

宮は朝夕観音像にお仕えしていた。髪の主探しに派遣されていた粟田の真人は、道端でついに宮を見つける。「わたしは貧しき女性です。尊い御仏を拾ったためこのようにお祈りしているのです」と優美に答える宮。ただものでないと直感した粟田の真人は、すぐ都に連れていこうとする。

「8人の兄弟に尋ねてほしい」という宮にしたがい貧しい家へ赴く粟田の真人。兄弟はひれふし、どうぞ連れて行ってくれと申し上げた。

都に到着した宮は、藤原不比等の養女となり宮子姫と号された。彼女はやがて后妃になる。

道成卿の悲劇

雲の上の人となった宮子姫だったが、庵に残した観音像が忘れられない。藤原不比等にたのみ、天皇の配慮で寺を建立することになった。紀道成卿が寺院建立の勅命をうけた。

道成卿はみずから山に入り、木材集めの指示をする。筏で川をくだろうとしたおり、事故で激しい滝つぼに落ちてしまう。筏ごとばらばらになり、彼も溺死してしまった。

道成寺の完成と兄弟のその後

ほどなく伽藍が完成した。1丈2尺の千手観音像をつくらせ、胎内に海底から拾った黄金にかがやく1寸8分の観音像を納め、安置した。寺は道成卿の名を取り天音山道成寺と号された。

天皇は海士の兄弟を召すという勅令をだしたが、彼らは堅く辞し、道成寺そばに住み観音に仕えつづけた。

 

大筋は「宮子姫髪長譚」と変わらないし、ここでも道成卿は労災死を遂げており泣ける。 主な差異としては、次が挙げられるだろう。

  1. はじめに住んでいたのは9人の兵士でなく9人の海士きょうだい
  2. 宮は不妊に悩んだ夫婦の娘ではなく、あるていど成熟した海女であり、海士きょうだいの一員
  3. 宮はもともとたっぷりと美しい黒髪をもっていた
  4. 観音像は宮によって見つけられ、髪にくるまれて引き上げられた
  5. 都にとどいたのは髪1本どころか、雀の巣まるごと作れるほどの髪

梅山(2009)によると、絵巻物では「身の丈に余る髪の毛を水に漂わせながら、海底の光の方へ向って潜ろうとする半裸の海女である宮子の姿」(pp15)が描かれているという。

「宮子姫髪長譚」は、聴衆の気を引くためか奇談らしさが前面に押しだされていたが、絵巻「道成寺宮子姫伝記」では海女の現実としての賎なるさまと、海女にむけられた期待としての神秘的な美とが強調されているように読める。観音像を髪にくるむ海女の図というのも、海女の現実としての素朴さと、海女にむけられた期待としての「神々しさ」や「妖しさ」が同時に伝わってくる。

貧しい海女から雲上人になった宮子姫と、故郷に残りつつましく暮らしつづけた兄弟との対比も印象的だ。「宮子姫髪長譚」にくらべ絵巻「道成寺宮子姫伝記」は、当時の貧しい人々の暮らしや、海女をめぐる当時のまなざしをしっかり伝えてくれる作品といえるかもしれない。

個人的には「おふそらより雀翔来り、南門に群り、軒に巣を作りありければ、雀を追ひはらひ、巣を取よせ見れば、 ことごとく一丈余りの黒髪なる」(同)という描写にぞっとしてしまった。はたして美しいのか、おぞましいのか。当時の感性では美しかったのだろうな。

いつか絵巻物そのものを見てみたい。

参考:
梅山秀幸, 2009, 「日本における「トリスタンとイズー」伝承群(一) : 髪長姫、絵姿女房、イズー、そして玉鬘」, 桃山学院大学人間科学(37), 5-34.