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池袋のポルターガイスト

古本屋で『醫事雑考 奇。珍。怪』なる背表紙に目をひかれ、つい購入してしまった。田中香涯著、1940年発行(鳳鳴堂書店)だ。

田中香涯は1874(明治7)年大阪生まれ、解剖医として活躍した人物である。自序には次の通り、本書の目的が記されている。

本書は私の読書趣味と学問道楽と猟奇癖の三つから生れましたもので、玆に生前の遺稿の一として梓に上すことと相成りました。しかし〔中略〕決して荒唐無稽の事柄を羅列したのではありません。医事に直接或は間接の関係のある種々の奇談珍聞怪話について、浅学菲才ながらも私一流の科学的観察と考証を試みたものであります。

神話時代から執筆当時にいたるまでの不思議な話が、著者の心の赴くままピックアップされ、論じられる。戦前の作なので、分析ではやや差別的な記述もみられるが、当時の「科学的」とは何なのかを知るにはなかなか面白い一冊だ。氏が明治生まれなので、明治から昭和初期にかけての科学的・社会的・文化的背景が反映された本だといえるだろう。
妖怪話のからくりについては、井上圓了氏に反論する立場をとっているのも興味深い。

本書から、くすりと笑ってしまったエピソードをひとつ紹介したい。

池袋の女怪

こんなタイトルをつけられた節である。
江戸時代には、池袋の女性を下女として雇い、家の主人が彼女と通じると、ポルターガイストが生じるといわれていたそうだ。
たとえば、次のような記述が残されている。

ある幕吏が池袋から雇った下女と通じたところ、行灯が空中に浮かんだり、茶碗が飛んだり、台所の臼が座敷に移動したりした。下女に暇をやったら怪異は絶えた。(『耳袋』より)

ある与力が池袋生まれの農夫の娘を雇い、通じたところ、石が家の中に降り、戸棚の食器類が落ち、火鉢が転覆し、釜の蓋が浮き上がり飯の中には火が投げ入れられる、などの怪異が生じた。下女を解雇するとおさまった。(『遊歴雑記』より)

ある槍術師が池袋生まれの下女と通じたところ、家屋が振動したり、小石が家の中に飛んできたり、障子が突然燃えたり、朝飯の釜が屋外へ飛んでいったりした。(『彗星』3月号、松居松翁氏の記述より)

典型的なポルターガイストである(なお本書には「ポルターガイスト」という表現はなく、「怪異」「怪異現象」「怪事」「変事」「女怪」などと記されている)。
池袋の女性にまつわるポルターガイストは当時有名だったそうで、次のような川柳も紹介されている。個人的には、とくに最後のひとつが秀逸で笑ってしまった。

石投げをしてボロの出る池袋
下女の部屋振動こいつ池袋
瀬戸物屋どびんがみんな池袋
仁和寺のさわぎのような池袋

著者の田中氏はここで、ポルターガイストが「病的な変質性の不良男女の所為」、つまり精神に変調をきたした人間による作為であるという通説に賛同する。そのうえで、しかし主人が池袋生まれの下女に手をつけると必ずポルターガイストが生じる、下女が熟睡中にもポルターガイストが起きることへの説明は不十分だと指摘する。

そこで田中氏が主張するのは「女子共有の原始俗」つまり、村の女性を村全体で共有するという習俗とのつながりである。

かつて日本の村落には、若い女性を村の若衆で共有し、村内で婚姻させるという習俗をもつところがあった。女性が他村の男性と結婚する場合、村内の若衆の同意を得る、先に村内の若衆と結婚させてから他村に嫁がせる、などの方法がとられたという。
この習俗は民俗学でも多数文献があり、夜這い文化などとあわせて論じられることもあるのは周知の通りだ。

池袋にこのような習俗があったと明記する文献はないものの、『耳袋』やときの川柳をみるに、可能性は高いと田中氏はいう。

つまり池袋の女性がよそへ下女奉公へ行くと同じ村落の男性が絶えず監視し、主人が彼女に手をつけたとなると報復としてポルターガイスト(のような現象)を生じさせ、下女を村へ戻そうとしたのではないか、という推測だ。

この主張に説得力をもたせるような事例や論文が他にも紹介されており、「若衆どんだけ暇人やねん」という一点を無視すれば、なかなかに納得できる。

村の女性に若衆が執着することには、村落の人口減少を防ぎたいという動機が強くはたらいていたという。
本書では「産土神が人口減少を好まない」という理由づけがされていたが、神の思し召しにかかわらず、都会―村落部の格差や、村落部における人口流出と共同体の維持の必要性という社会的背景があったことは、想像にかたくない。

「若衆どんだけ暇人やねん」をふまえれば若衆報復説の説得力はやや薄れてしまうが、怪異と当時の社会情勢をリンクさせて解釈する説として、とても面白いなあと感じた次第である。

それにしても、集団で寄ってたかって小石を投げたり飯釜をぶっ飛ばしたりしている若者たち、その図を思い浮かべるとちょっと滑稽で笑ってしまう。