おトイレ古今(古事記・日本書紀編)
古本屋でふと見かけた『便所異名集覧〈増補版〉』の背表紙。
シンプルな書体に、不思議なロゴマーク(中国周時代の水鳥をかたどった銅製水差しをもとにデザインしたとのこと)。
はじめは変な本だなあと手にとったが、ページをめくるや否や、その面白さに目をみはった。
書名のとおりひたすらトイレの異名が集められ、簡単な解説が添えられる、その数総計1114語。
これからじっくり読みたいが、先日から取り組んでいた古事記・日本書紀にもおトイレ関係の記述があったなあと思い当たった。
ちょっとまとめてみたい。
トイレだけでなく用便も含まれているが、ざっとこんな感じだ。
用便の役割
スサノオがやらかした、大便を呪術に用いるというのは現代の感覚でもなんとなく理解できる。現代でも、大便はタブー、不潔などのイメージがあるからだ。
一方で、古事記でイザナギの大小便から神が生まれるエピソードは穢れとは対極で、生をもたらしている。
ミツハノメは水の神、ハニヤマヒメは土の神だ。ちなみに一書では、ハニヤマヒメはイザナギの死因である火の神カグツチと結婚し、蚕・桑・五穀をもたらすワクムスビを生んだ。つまり大便→土→食物・養蚕起源という関係があり、イザナミの大便はハニヤマヒメ単体の生だけでなく、より広い生ももたらしていることになる。
また日本書紀では、一書としてイザナギの逃走説話に小便大河が登場する。黄泉の国の住人を足止めするという意味では浄なる存在だが、対岸にそれぞれイザナギ・イザナミがいるのだから、この世と黄泉の国との境界、つまり浄と不浄の境界とも読める。
用便を浄か不浄かでわりきるより、境界とみなすほうか面白いな、というのが古事記と日本書紀からの所感だ。
便所という空間
用便だけでなく、便所という空間そのものに目を移してみよう。記述の数は少なく、殺人現場、もしくはとんでもない求婚の場の2ケースだ。
便所で殺人(古事記, 下, 履中天皇)はまあわかる。トイレでは無防備になるし、上でも述べたとおり用便、とくに大便には穢れのイメージがともなうからだ。
わからないのは便所で求婚エピソードだ(古事記, 中, 神武天皇)。求婚といっても、お便所でプロポーズしたわけではない。詳細にみてみよう。
丹塗矢伝説
三輪の大物主神(おおものぬしのかみ)が、美しい勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)に一目惚れした。彼女が大便をしようと溝(古くは溝や川の上に便所を設けた)にかがみこむと、赤い矢に変身した大物主神が溝を流れおり、彼女の陰部を突いた。
驚いた彼女が矢を床のそばに置くと、たちまち立派な男性になり、ふたりはめでたく結婚したそうな。
へ、変態だーーーー!
浅はかな感想で恐縮だが、どの箇所を読んでも変態の一言しか出てこない。
ただ面白いのが、トイレという空間がやはり浄と不浄の境界になっていることだ。たんに大便を排泄する空間であるはずが、結婚・出産につながる出会いの場となる。しかも現れたのは、神秘的な力をもつとされる赤色をまとった偉い神さまだ。ここからは神秘、生などのキーワードが垣間見える。
とはいえやはり、トイレを覗くだけでなく、さらけだされた陰部を断りなくつっついちゃう、より踏み込んで言うと勝手に交接しちゃってる、大物主神のセンスはとうてい理解できないな。
ちなみに大物主神には他にも陰部突きエピソードがある。妻・倭迹迹日百襲姫命(やまととびももそひめ)が、夜しか来ない彼に「昼間のお姿を見てみたい」と頼んだ。では櫛筥に入っているから驚かないように、と彼は承諾する。いざ櫛筥を開けてみると、そこには小蛇がいた。おどろいた妻に、大物主神は恥をかかせたと怒って帰ってしまう。倭迹迹日百襲姫命はおどろきで尻もちをついた途端に、箸で陰部を突いて亡くなってしまった(日本書紀, 巻5, 第3段, 正文)。
大物主神の正体が小蛇なことや、女性の陰部をめぐる意味合いなど興味深い要素がいくつもあるけれど、それはひとまず脇に置いておこう。なんで箸が転がっとるねんというツッコミも、ひとまず置いておこう。
ここまでみてきたトイレの「境界」という側面は、だいすきな学校の怪談にも通ずる視点だなと思っている。
古事記、日本書紀を通して、日本最古のおトイレエピソードを確認した。面白い視点がいくつも得られたので、この気分をもって『便所異名集覧』を読み始めたい。
参照:
山口佳紀, 神野志隆光 校注・訳, 1997, 『新編日本古典文学全集1 古事記』, 小学館.
小島憲之, 直木孝次郎, 西宮一民, 蔵中進, 毛利正守 校注・訳, 1996,『新編日本古典文学全集3 日本書記(2)』, 小学館.