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パルプ・フィクションへの憧憬

どんなに思いを募らせても、失われてしまった過去の文化は体験できない。レプリカはあっても、その時代の空気に触れ、包まれることまではできない。
あらゆる記述をかき集めて想像にふけり、どんなに素敵だったろうとため息をつくしかなかったりする。
私にとってそんな文化の一つが、パルプ・マガジンだ。

パルプ・マガジンとは

パルプ・マガジンはアメリカの安価な娯楽雑誌で、パルプ紙に印刷されているからそう呼ばれる。

アメリカでは18世紀なかばに初めて雑誌が創刊された。当初は上流階級のみが享受する文化だったが、19世紀終盤には大衆雑誌が普及していった。
テレビがない当時、雑誌は重要な娯楽メディア。様々なジャンルの雑誌が競いあうように出版された。

なかでも独自の文化を築いたのが、10〜15セントほどで購入できたパルプ・マガジン。アクションとサスペンスの要素で彩られた、挿絵つきの短編〜長編、ときには連載小説も掲載された。
中流階級の人々や、ときに物好きな上流階級の人々までパルプ・マガジンを楽しんだらしい。

ニュース・スタンドに所狭しと並ぶパルプ・マガジンは、衆目を集めるため毒々しく扇情的な表紙絵で飾り立てられることもしばしばだったそうだ。
一般的に低俗なものとされてきたが、実際には幾多の傑作が生まれ、数多くの著名作家が巣立っている。

パルプ・マガジンのジャンル

記事末尾に掲載している参照文献によると、以下のジャンルが中心だったそうだ。

西部もの
探偵もの
恋愛もの
冒険、秘境もの
戦争もの
航空アクションもの
スポーツもの
怪奇もの
SFもの
スーパーヒーロー、怪人もの
猟奇もの
その他 スパイ、ギャング、ユーモア、告白、実話、エロものなど

どれも興味をそそるけれど、当方が気になるのはやっぱり怪奇もの。

怪奇ものの王者 ウィアード・テールズ

そもそもなぜパルプ・マガジンを知ったかというと、この「ウィアード・テールズ」なる雑誌名を度々見かけていたからだ。

こつこつ怪奇小説のアンソロジーを収集していると、アメリカ人作家の場合しばしば作品解説に「初出はウィアード・テールズ」や「ウィアード・テールズで活躍した作家」の旨が添えられていることがある。

創刊は1923年。パルプ誌のトレンドは総合誌からジャンル別専門誌へと移り、前節で触れたジャンル、とりわけ西部もの、探偵もの、恋愛ものが人気を集めていたようだ。

固定ファンを掴んでいた怪奇ものの市場でも何種類かのパルプが発行され、なかには傑作が載ることもあったが、多くは短命だったという。
そんななかウィアード・テールズは、1954年の終刊まで279冊を世に送りだし、現在に至るまでオンリーワンの地位を築いている。

いかに低俗なパルプ誌とはいえ、当時の社会通念と照らしあわせ不適切と思われる作品は日の目を見るのが難しかった。
しかしウィアード・テールズは、(読者のニーズに沿わないものは没にすることがあったが)どんなタブーも設けず、ユニークでときに過激な怪奇小説をどんどん掲載していった。

編集者と作家、作家と作家の間で日々切磋琢磨が繰り返され、唯一無二の雑誌、そして作家陣へと成長を遂げていったのである。

ウィアード・テールズを根城にしていた著名な作家といえば、H・P・ラヴクラフトクトゥルフ神話で知られる彼だ。
他にもシーベリー・クイン、フランク・オーエン、ロバート・E・ハワードエドモンド・ハミルトンオーガスト・ダーレス、ロバート・ブロック、レイ・ブラッドベリなどなど……よだれが止まらない。

ウィアード・テールズに掲載された作品については、記事を改めて紹介してみたい。

 ジャンクフードであり極上グルメでもあるパルプ・フィクション

ごちゃごちゃした20世紀前半のアメリカの片隅で、怖い話が好きな少年少女、しばしの現実逃避を図る労働者、家事の合間に休息をとる主婦、物好きな知識人、そんな人々が粗雑な紙の上で繰り広げられる複雑怪奇なフィクションの世界に没頭したのだ。

ウィアード・テールズ関連の作品を楽しむたび、当時のアメリカにタイムスリップしてみたいという憧憬が止まらない。

参照:
那智史郎, 宮壁定雄 編著, 1988, 『ウィアード・テールズ 別巻』. 国書刊行会.