コーヒー飲みながら不思議な話をよむ

いろんな話をあつめているよ

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タイムカプセル(洒落怖)

530 名前:コピペ 投稿日:2001/08/11(土) 16:42
ある日、星野という人の家に手紙が届きました。
その手紙は中学の同級生の村瀬という人物からの同窓会への誘いでした
懐かしいな~、あのイジメられっ子だった村瀬か
そういえばアイツ卒業式の日もタイムカプセルに閉じ込められて泣いてたっけ。
卒業式から20年たち、すでに中年といえる年になった星野は若かった頃の思い出がふつふつと込みあげてきます。
そして、この同窓会に行くことを決意しました。
そして当日、居酒屋には12人が集まりました。
まあ仕事もあるし家庭もあるのだから、全員集まらないのはしかたないのですが、同窓会に来るはずの村瀬は来ませんでした。
そしてすっかり酔いも回った頃
「忙しく、飲み会には参加できないのでタイムカプセルを置いた防災シェルターで待っています」
というメールが星野のケータイに入りました。
そんなメールが入りタイムカプセルの事を思い出した面々はさっそく車を走らせ、20年前通った中学校の校庭の一角にある防災シェルターを目指しました。
酔ったいきおいで20年間使われる事の無かったシェルターのカギを壊し、中に入ると変な匂いが漂っているのが感じられました。
匂いの元とタイムカプセルはわけなく見つかりました
タイムカプセルのそばにフロパンガスの缶が青白い顔をした少年とともに転がっていたからです。
その少年を見た瞬間、一同は凍りつきました。
20年前とまったく変わらない村瀬の姿がそこにあったからです。
そして次の瞬間、少年は手にもっていたライターをつけました。

後日談
昨夜、●●中学校で起きた事件について続報がはいりました
この事件は検死の結果、死後約20年程が経過している事と
現場で発見された証拠により少なくとも1名がガスを吸引し自殺した事がわかっていますが、残り12人については詳しい死因はわかっていません

淡々と語られるのが怖かった・・・・

洒落にならないくらい恐い話を集めてみない? PART7!改

砂の中に(洒落怖)

18 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:2001/06/30(土) 19:34
もうかなり昔の話ですが・・・忘れられないことがあります。

私が幼稚園生ぐらいのとき(もっと小さかったかな)、夕方、家の近くの海岸を祖母におんぶしてもらい歩いていました。
(私は幼い頃、波を見るのがとても好きだったそうです。)
海岸線に打ち寄せる波と平行に祖母は無言でひたすら歩いてくれました。
そのとき、私はその波に透ける砂の中に何かを見つけたんです。
最初、貝殻かな?と思いました。波の泡が邪魔をしてよく見えませんでした。
しかし、祖母が私の気持ちを察してくれたのか、なぜかその貝殻らしきものに徐々にすーっと近づいていくのです。
近づいてみて私は驚きました、それは貝殻ではなく人間の2つの目でした。目というより眼球でした。
砂の中にゴルフボールが埋まるように、眼球が埋まっていたんです。
私のことをじっと見ていました。それに祖母も私にそれを見せつけるかのように、無言でその場に立ち止まったまま動かないのです。
私はおんぶされていて動けないのと、なぜかその砂の中の目をそらすことができず、体をただ硬直させるだけで泣くこともできませんでした。
波が何度も打ち寄せるてくるのですが、砂の中の目は水中からでも私から目をそらさないで見つめていました。

どれくらいその場にいたのか正確にはわかりません。
祖母が、その場を離れ、また海岸を歩きだしたとき「な、わかったろ」と独り言のように呟いた言葉が今でも忘れられず鮮明に耳に残っています。

すでに他界してしまった祖母に、あの時のことをもう聞くことはできず、
幼い頃の奇妙な記憶として一生残ることを考えると聞いておけば良かったと今では後悔しています。

洒落にならないくらい恐い話を集めてみない? PART5!

愛の蒸し焼き物語、道成寺ものの系譜

道成寺もの」がすきで、いろいろ調べたり集めたりしている。

清姫という少女が安珍という僧にひとめぼれし、あの手この手で誘惑をした。しかしつれない安珍。「あとでまた来るから」となだめつつ去った安珍清姫が待てど暮らせど彼は戻ってこない。怒った清姫は追いかける。追いかける。追いかけるうち蛇のすがたに变化し、それでも追いかける。道成寺の鐘のなかに隠れる安珍。蛇となった清姫は鐘にぐるぐるとりつき、鐘ごと安珍を焼き殺してしまった。「安珍清姫伝説」や「道成寺もの」とよばれる話のあらすじだ。

 

道成寺ものを知ったきっかけは、東京国立近代美術館で出会った村上華岳「日高河清姫図」(1919年, 重要文化財)だった。

急勾配で隆起するむきだしの土肌にかこまれ、黒い笠、淡い藤色の着物をまとった白い女性が、川にむかって駆けている。吹けば飛んでゆきそうな細い身体からは、「安珍まってろこのやろう」な情熱というより、もう戻れない、追いつづけるしかない、という悲哀や諦念がせまってくる。

この絵画のまえに立った瞬間、目を奪われた。彼女の宿命が胸にせまり、なんだか他人事とは思えない、吸い込まれて一体化してしまいそうな気持ちになった。

それいらい「道成寺」ときくと、つい反応してしまう。

 

とはいえ道成寺もの、後世の創作もふくめバリエーションがあまりに膨大だ。なにから読めばいいのやら、頭を抱えていたとき古本屋で出会ったのが『道成寺絵とき本』(道成寺護持会発行)という小冊子だった。う、運命か。

この小冊子のなにがありがたいって、本家本元の道成寺が発行していることだ。抜群の信頼度といえるだろう。

 プロローグでは、道成寺ものの系譜が整理されている。たよれる道しるべになりそうだ。

 

道成寺といえばどなたもすぐに、安珍清姫の悲恋物語を連想なさるでしょう」という書き出しから、まず安珍清姫伝説の系譜がまとめられる。

平安時代の『日本法華経験記(法華験記)』にはじめて載り、『今昔物語』や鎌倉時代の『元享釈書』を経て、室町時代の『道成寺縁起』において完成したという。『道成寺縁起』は上下二巻、げんざいは重要文化財に指定され道成寺に秘蔵されている。

道成寺縁起』をもとにして能楽「鐘巻」「道成寺」が誕生、その後歌舞伎をはじめとするさまざまな芸術分野に伝播してゆき「道成寺芸術」が形成された。

 

気をつけたいのは、道成寺縁起すなわち安珍清姫伝説、とむすびつけるのは短絡的すぎるかもしれないことだ。

道成寺安珍清姫伝説より200年以上もはやく創立された。つまり道成寺縁起には、安珍清姫伝説以外のさまざまなエピソードもふくまれているのだ。

じじつ『道成寺絵とき本』プロローグでは、道成寺縁起はつぎの3つの物語からなると述べられている。ふしぎなことに、どれも女性にまつわる奇譚だ。

  1. 開創由来の宮子姫髪長譚
  2. 安珍清姫鐘巻縁起
  3. 鐘供養物語(娘道成寺

世間ではこれらの物語が混同して伝えられているきらいがあるという。

道成寺絵とき本』ではそれぞれの物語が、現代語訳でわかりやすく(ダジャレもはさみつつ)まとめられている。この小冊子をもとに、しばらく道成寺ものを探求してみたい。 

お通夜の日(洒落怖)

洒落怖スレから。洒落怖はなるべく、あまり知られていない話を紹介していきたいところだ。コンパクトな構成のなかの入れ子構造、語り口、途中で出てくるゾンビモチーフなどからお気に入りの一話。

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690 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:2001/01/06(土) 00:39
おじいちゃんのお通夜の日の話です(長いです

当時高2の俺は、別に手伝う事も無かったので、準備が終わるまで自分の部屋で音楽を聞きながらマターリとしてたんです。
それでちょっと眠くなってきた頃に、ドアがノックされて
「おい、◯◯(←俺の名前)そろそろお坊さんが来るから、こっち来とき」と、父に呼ばれ、おじいちゃんの遺体がある部屋に行きました。

部屋に行って、みんなでおじいちゃんの遺体を囲んで、お坊さんが来るのを待ってたんですけど、俺がよそ見をしてた間に
おじいちゃんが生き返ったんです!マジで!
普通に「あー、よう寝た」とか言いながら目を覚ましたみたいな感じで。
それで、みんな怖がるとかじゃなくて、感動して喜んでたんですけど、
誰かが「オイ!遺影とか隠せ!」って言ったんです。
俺は一瞬意味が分からなかったんだけど、多分そういう葬式とかに関係あるものを見たら気づいて、おじいちゃんがショック死するからかなぁ、
とか思いながら俺も手伝って、大きい花みたいなのを隠してました。
でも蘇ったおじいちゃんは異常にに力が強くて、父を力づくでどかせて、
父が隠してた祭壇を見つけたんです、おじいちゃんはそれを見て
「うわ、今日誰かの葬式かなんかか?こういうのを乱暴に扱ったらあかんやろが」とか言いながら、祭壇を整えてたんですけど、
そのうち自分の遺影を見つけて「あ、わし、死んだんか。そうか」とか言い残してまた死んでしまいました。

 

691 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:2001/01/06(土) 00:40
それから俺はまた部屋に戻ってマターリとしてたんですけど、
じきにまた父が呼びに来て遺体のある部屋に行ってみたら、もう祭壇とかを片付け始めている。
俺は不思議に思いながらも片付けを手伝っていたんですが、片付けている時に、父とか母とかは違う部屋に行ってて、
そのおじいちゃんの遺体がある部屋には俺1人で、おじいちゃんの遺体と二人っきりになった瞬間があったんですね。
そして、俺がまたおじいちゃんの遺体から目を離してる隙にまた生き返ったんです、おじいちゃんが!
でも今度は前とは違って明らかに様子がおかしくて、なんか映画のゾンビのように、奇声を発しながら暴れまわってるんですよ!
それでおじいちゃんが外に出ようとしてるので、俺はそれを必死で止めてたんです。
そして、おじいちゃんに「おじいちゃんは死んだんやで!もう気づいて!」と
言ったところで俺はある事に気づきました。

俺は高2の男なんかじゃない、俺自身が今目の前にいるこの老人なんや。
わしは死んだんか?これは夢か?

と思ったところで目が覚めました。
ああ、まだわしは死んでない。でも、最後に嫁はんや孫の顔でも見とくか、
と思ったんだけど、目も開かないし、体も動かない。
そうか、やっぱりもうわしは死んでんのか。
まわりからは皆の泣いている声が聞こえる。

 

692 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:2001/01/06(土) 00:45
と、いうような夢を一昨日みました。
オチが洒落になってなくてめちゃくちゃ怖かったです。
この直後に目が覚めたんですけど。

洒落にならないくらい恐い話を集めてみない?2

蟹くったりくわれたり

病みあがりの、あと少しだけ安静にしていなきゃならない、という時間がけっこうすきだ。ベッドでなにをしようかな。先日体調を崩した折、ひさしぶりにインターネットの怖い話を読んでいた。

「蟹のドラム缶風呂」のページで、そういえば「諸国悪もの食い」にも蟹の話があったなあと思いだした。

 インターネットの怖い話はどれもすきだけど、「蟹のドラム缶風呂」もお気に入りのひとつだ。冒頭の人情モノじみた凡庸なエピソードと、後半における海外の都市伝説的なセンスとの組み合わせが、なんだか独特の読み応えをあたえてくれる。初出はどこなんだろう。

 

こちらは蟹にやられる話だけど、「諸国悪もの食い」は蟹をやっちゃう話。2記事あり、まずは美味しそうな話から。

「がね味噌」とよばれる珍味で、ベンケイガニの一種とみられる、はさみが赤い小さな蟹をくだいて塩辛にする。それを汁物にし、熱いご飯にかけて食べるのだそうだ。うう、美味しそう。「がね」は蟹の方言で、「味噌」といえど味噌を入れるわけではないらしい。

どこが「悪もの食い」かというと、どうやら蟹を生きたまま臼にほうりこみ砕くのだ。うう、むごい。

東京朝日新聞, 1907-10-10, 「諸國惡もの食ひ(二十三)がね味噌(筑後柳河)」

 

つぎは記者が言いたい放題の「巾着蟹の酢味噌」。

現地の漁師さんが巾着蟹の肉を酢味噌にして食べるのだけど、苦味が強くて閉口した。そもそも蟹の見た目がおぞましく、食べる気にならない。とけちょんけちょんだ。

巾着蟹といってもイソギンチャクをポンポンにする例のキンチャクガニではないらしい。調べたところ、どうやらヒラツメガニを指しているようだ。記者は「平家蟹の一層嫌な形をしたもの」と描写する。ほんと言いたい放題だな。

東京朝日新聞, 1907-10-04, 「諸國惡もの食ひ(十五)巾着蟹の酢味噌(相州三崎)」

 

腐っても怪異ファン、つい「平家蟹」に反応してしまう。平家の怨念がのりうつったという人面蟹。蟹にまつわる怪談は数えきれないほどある。

蟹怪談のうちとくにお気に入りなのが、岡本綺堂の「五色蟹」だ。読者T君が送ってきた体験談を紹介する、という体で物語がはじまる。

東京の会社員男性3人が連れ立って伊豆の温泉旅館に逗留する。海辺でみつけた蟹をもちかえると、蟹は隣室へはいりこんでしまった。そこに宿泊していたのは東京の女学生4人。すっかりうちとけた2組の交流がはじまるが、庭に捨てたはずの蟹が、彼らの部屋や隣室にあらわれる。

「どうしてあの蟹がまた出たろう。」
「ゆうべの蟹は一体どうしたろう。」と、遠泉君は言った。
「なんでも隣りの連中が庭へ捨ててしまったらしい。」と、本多は深く気に留めないように言った。
「それがそこらにうろ付いて、夜になって又這い込んで来たんだろう。」
「あれ、見たまえ。又となりの方へ這って行く。」と、田宮は団扇うちわでまた指さした。
「はは、蟹もこっちへは来ないで隣へ行く。」と、本多は笑った。「やっぱり女のいるところの方がいいと見えるね。」

 こんなふうに、はじめは蟹がうろつこうとさほど気に留めない。しかし旅館で数日過ごすうち、ある事件がおきる。

 

舞台が温泉旅館ということで、ゆったりした非日常感、開放感のなか物語が進む。その空気は事件で破られ、一転して緊張感がはしる。事件の怪奇さゆえに、主人公たちは東京に戻ってもなかなか日常生活に復帰できない。非日常的な温泉旅行のさきの、さらなる非日常へ連れていかれてしまったのだ。この感じ、たまらん。

物語の魅力はそれだけじゃない。女学生の中にひときわ美人がいて、主人公たちは気を引かれる。その美人をめぐる種々の因縁、解明された謎とされなかった謎とがどうにも読者の心をとらえる。そしておとずれる最後ひと段落が、胸が苦しくなるような、甘いような恐ろしいような、なんともいえない余韻を残すのだ。

蟹も大活躍である。海辺でみつけたときは、きらきら美しい蟹が主人公たちの温泉旅行への期待感を象徴するかのように描かれる。

大きい浪のくずれて打ち寄せる崖のふちをたどっているうちに、本多が石のあいだで美しい蟹を見つけた。蟹の甲には紅やむらさきや青や浅黄の線が流れていて、それが潮水にぬれて光って、一種の錦のように美しく見えたので、かれらは立ち止まってめずらしそうに眺めた。五色蟹だの、錦蟹だのと勝手な名をつけて、しばらく眺めていた末に、本多はその一匹をつかまえて自分のマッチ箱に入れた。蟹は非常に小さいので大きいマッチの箱におとなしくはいってしまった。

 そこから徐々にふくらむ違和感。最後に現地の漁師から、その蟹のなんたるかを教えられる。

 

ほかに蟹といえば、泉鏡花の作品や映画『ツィゴイネルワイゼン』(鈴木清順監督, 1980年公開)の冒頭シーンなどがすきだ。もちろん食べるのもすき。蟹って不思議な魅力をもった生き物だなあ。