甦るミイラ、甦らず再利用されるミイラ
仕事の必要から『偉人たちのあんまりな死に方 ツタンカーメンからアインシュタインまで』(G・ブラッグ 著, 梶山あゆみ 訳, 河出書房新社)を読んだのだけど、まあこれが面白い。
アメリカのヤングアダルト作家である G・ブラッグ氏が、多くの論文や資料をもとに「偉人たちがいかに死んだか」を書きあげた作品だ。
軽妙な語り口と時折のブラックジョークにみちびかれ、ジョージ・ワシントンは血液と体液をほぼすべて抜かれたとか、ベートーヴェンは蒸しげられて風船のようにふくれたとか、
彼らにとどめを刺したであろうトンデモ民間療法とともに死に様がえがかれる。
ダーウィンは極度の対人恐怖症だったとか、ディケンズは躁鬱で支配欲が病的に強かったとか、教科書や著作からはうかがい知れないパーソナリティにも触れられている。
第1章は、ツタンカーメンの遺体がいかに頻繁に墓から出し入れされ、死後の安眠を妨げられていたかという話。
ツタンカーメンの気の毒な境遇も興味深く読んだのだが、最後に紹介されていた「古いミイラの利用法」がこれまた面白かった。
無知なもので、偉い人しかミイラにされないと思っていたのだが、古代では庶民もたくさんミイラ化されたらしい。そんなミイラが世界各地に運びだされ、実用化されていたのだ。
1. 薬として
14〜19世紀頃、ミイラは薬になると信じられていたそうだ。燃やす、砕くなどで油や粉末にして服用する。膿瘍や咳、骨折、てんかん、毒物中毒など多くの症状に効くといわれていた。そんな万能薬があるものか、と今なら思ってしまうところだ。
ただし副作用は、ひどい嘔吐と口臭。それって副作用というより、むしろ新たな症状を呼び込んでいるのでは。
2. 紙として
ミイラもびっくりだ。1体のミイラには13キロほどの包帯が巻かれていたそうで、19世紀なかばのアメリカでは、包帯をほどいて茶色の紙に加工し使っていたとか。用途はなんと、肉屋で肉を包むためだとか。もちろんお客は何も知らないままだった。包帯たちは古い肉から剥がされ、新しい肉を巻くことになったわけだ。
3. 絵の具として
ミイラを砕くと濃い茶色になり、18〜19世紀の画家(一部)が好んで用いていたそうだ。ただし暑くなるとしたたり落ちる、周囲の絵の具や重ねた絵の具を変色させてしまうという。さながら呪いだ。
また豆知識として、ミイラの眼窩は空洞ではなく目玉がしぼんではりついており、水で戻すとほぼ元通りの大きさになると述べられている。ほんとかな。
こんな話を読んでいるうちに、ふとお気に入りのミイラ小説が思いだされた。アントニー・バウチャーの「噛む」だ。
アントニー・バウチャー、またの名をH・H・ホームズ(あるシリアルキラーにあやかっている)。SFや推理小説分野で活躍した、アメリカの作家、書評家、編集者である。
アメリカ西部、乾ききった岩や砂だらけの山々。ある目的のもと、主人公タラントはオアシスに仮住まいを構えた。
乾ききった町へ下り、酒場で一杯やっているとあるじいさんが「どこから来たのか」と尋ねる。オアシスに小屋を作った、煉瓦の家の近くだとこたえるとじいさんは顔色を変えた。
あの家には入るな、と思わせぶりな警告。
なぜかと問うても「噛むのだよ」としか言わない。残されたタラントは、バーテンダーから家にまつわる曰くを教わる。
お約束ながらついタラントは家に足をふみいれて……という短編小説だ。
積極的ですばやい、パッサパサのミイラが大活躍。西部の砂漠地帯に食人鬼、サボテンにベーコンエッグと、いかにもアメリカな要素満載なのもうれしい。
浅学ながらミイラ小説というと、本作と『ぞくぞく村』シリーズ(末吉暁子 著, 垂石真子 絵, あかね書房)くらいしか心あたりがない。『ぞくぞく村』シリーズは小学生のときほんとうにお世話になった本だった、懐かしい。他にどんなミイラ文学があるのかな。
追記。ちょっと調べたら、ポーはじめ数々の作品がヒットした。家に転がっているアンソロジーにも、いくつかミイラものが収録されていた。ああ自分の無知と記憶力がおそろしい、いつかミイラ文学についてまとめたいぞ。