コーヒー飲みながら不思議な話をよむ

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ひとをくう話

カニバリズムというと、古今東西あらゆる逸話や事件が語り継がれており、それをモチーフにしたフィクション作品もあまたある。

諸国悪もの食い」にもカニバリズムの話題があったので、まとめて紹介したい。

 

まずは「まあありそうだな」とうなずける、胆をくう話。

「乾いた人胆」と題された回で、なんでも人胆は精力を増すと古来より伝説があったため江戸時代にはよく食されていたそうだ。記事が出た明治40(1907)年にもその風習はつづいていたようで、ときどき乾燥させた胆を売買している者がいたという。けっこう高値がつけられたために、かつて斬首役をつとめたある家には、乾燥人胆がゴロゴロ保存されていたとか。

東京朝日新聞, 1907-10-14, 「諸國惡もの食ひ(二十七)乾た人膽(東京)」

 

つぎは火葬場、コレラというキーワードもあいまって、ややゾッとする。

死人の脂が肺病や心臓病など「疲労を感ずる病症」に効くというのも、これまた古い伝説だそうだ。近頃山口県で、心臓病もちの男性がコレラ患者の火葬場に忍びこみ、脂をとろうとして捕まったという噂話が紹介されていた。

東京朝日新聞, 1907-10-15, 「諸國惡もの食ひ(二十八)死人の脂(周防)」

 

火葬場つながりでおまけの一話。

死人を焼くときに、担当者にこっそり頼んで「大きなお備え餅」を蒸し焼きにしてもらうことがあったという。これも肺病に効くという迷信ゆえ。「餅はすっかり脂がしみこんで、ちょっと変てこな臭いがするものだ」とは当記事筆者の「惡食大王」さん談。

東京朝日新聞, 1907-10-09, 「諸國惡もの食ひ(二十二)火葬場の燒餅(東京)」

  

さいごに真打ち登場。脳ですってよ、脳。

人の脳が梅毒患者にとって大の妙薬という迷信がはびこっていたらしい。とくに骨へ症状があらわれた患者にはもっとも効験があるということで、「随分火葬場などで骨揚げの際にモリモリやらかす者がある」と豪快な紹介のされかたである。当記事筆者の「日暮里生」さんは、むろん何の効き目もないだろうとアッサリしたものだ。

東京朝日新聞, 1907-10-07, 「諸國惡もの食ひ(二十)腦味噌の黒燒(東京)」

 

脳をたべるといえばまっさきに想起されるのが映画『ハンニバル』(リドリー・スコット監督, 2001年公開)だが、身近なところでは梶井基次郎も「脳味噌の黒焼き」について書いていた。1932年に発表された「のんきな患者」という小説で、肺病患者の日常や彼のおかれた社会を描いた短編だ。梶井基次郎最後の作品でもある。

こんな一場面だ。

主人公の吉田が学生時代、実家に帰省して早々に母親が「おずおずでもない一種変な口調で」脳味噌の黒焼きを飲んでみないかともちかけてきた。聞けば青物売りの女性からすでに分けてもらったそうで、そんな民間療法にすがるたちではなかったはずの母親への違和もあいまって彼は「まったく嫌な気持になってしまった」。

その黒焼きは、肺病で亡くなった青物売りの弟の脳だという。火葬場で和尚が脳の黒焼きは肺病の薬だ、「あなたも人助けだからこの黒焼きを持っていて、もしこの病気で悪い人に会ったら頒けてあげなさい」と姉である青物売りに渡したものが、母親におすそわけされたのだった。そのすべてに吉田は「何かしら堪えがたいもの」を感じる。吉田が飲むはずないものをもらいうけ、その後いったいどう始末するつもりなのだと、母親が「取り返しのつかないいやなこと」をしたという嫌悪感もこみあげる。

 

諸国悪もの食い」からも「のんきな患者」からも、民間療法にすがる人々の盲目的な熱意と、そこから距離をおく書き手たちのまなざしとを感じる。しかし二者はけっして断絶されたものではないだろう。梶井基次郎の筆は、次の文章をしたためたのち置かれる。

自分の不如意や病気の苦しみに力強く堪えてゆくことのできる人間もあれば、そのいずれにも堪えることのできない人間もずいぶん多いにちがいない。しかし病気というものは決して学校の行軍のように弱いそれに堪えることのできない人間をその行軍から除外してくれるものではなく、最後の死のゴールへ行くまではどんな豪傑でも弱虫でもみんな同列にならばして嫌応なしに引き摺ずってゆく――ということであった。